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信玄塚 07.05.31 長野県下伊那郡根羽村
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・三河国野田城(愛知県新城市)を攻略中に肺肝を患い、田口・津具を経て甲斐国へ引き返す途中、天正元年(元亀四年・一五七三)四月十二日、五十三歳にて、ここ「ねばね」の上村において他界された。(甲陽軍艦より)
・その折、風林火山の旗を横にしたのでこの地を横旗という。
・信玄公が葬られているとされている信玄塚は村史跡に指定されており(昭和五十六年指定)、現在の国道一五三号線沿いの風林火山騎馬隊の大壁画の東方国道敷に埋没されている。




◎宝篋印塔(ほうきょういんとう)
・寛文年間(一六六一〜一六七三)の頃、信玄公百年目の遠忌に際し、供養のため、武田家ゆかりの人々によって建立されたと伝えられているが、塔の形式等から室町末期と推測されている。
・花崗岩製で高さ一.八四メートル、等身に四仏(※薬師・阿弥陀・観音・釈迦)を表す梵字が刻まれており、塔の規模、様式から見て城主、大名級のものであるとされている。
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