荒砥城
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荒砥城跡 〈城山史跡公園〉 08.07.11
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長野県千曲市上山田3509-1
http://webrymap.biglobe.ne.jp/?lat=36.47886184058454&lng=138.1369400024414&zm=14&tp=0&gs=&rat=0&sp=1&srt=0
通称 新砥城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 山田越中守二郎?
築城年 室町時代
主な改修者 山田氏
主な城主 山田氏、屋代政国、屋代秀正
廃城年 天正11年(1583年)
遺構 土塁、空堀
・この地の豪族で村上氏の一族の山田氏の居城であった。
・村上氏の本城、葛尾城の支城としての役割を果たしていた。
・天文22年(1553年)には武田信玄により葛尾城が落城すると、武田氏に従った屋代政国の替え地として、荒砥城を与えられた。
・天正10年(1582)、武田氏滅亡後、上杉景勝の川中島統治時代には屋代秀正が海津城副将となり、荒砥城は清野・寺尾・西条・大室・保科・綱島・綿内の各氏による城番管理がなされた。
・天正11年(1583年)、秀正は徳川氏に通じたため上杉氏に攻められ、荒砥城に火を放ち、徳川の下へ参り旗本となる。
・荒砥城は以降、廃城となる。
・現在は千曲市城山史跡公園として整備されている。
・館や兵舎、櫓など中世の山城の雰囲気を再現しており、平成19年(2007年)の大河ドラマ「風林火山」のロケ地として使用された。(ドラマでは海ノ口城として使用された。)
・戦国時代の武将、、村上義清の配下として名を馳せた山田国政の居城。
・その山田国政は天文20年(1551年)4月、真田幸隆の策略によって、城代を務めていた砥石城において討死。 






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「荒砥城」は上山田町(現千曲市)の「ふるさと創生事業」により、平成7年(1995)城山史跡公園として整備され、この地にあった山田氏、その後の屋代氏の山城を中世の史実に基づいて復元した戦国期の山城である。
城山公園の頂上に本郭、その下手の段には二の郭・櫓・兵舎が復元されている。
城跡公園は車の便もよく、入口には駐車場もある。戦国時代の山城、砦を推測する上で参考になる。
荒砥城は、冠着山(かむりきやま)支脈の城山(標高895m)山頂を本郭とする城で、山田城・砥沢城とも呼ぶ。
城は村上支族の山田氏の居城で、荒砥城は南方に相対する狐落城(こらくじょう)ともに、葛尾城(かつらおじょう)の重要な詰め城である。
天文22年(1553)3月、児島(小島)兵庫三兄弟が守る狐落城は、村上氏側内部分裂をはかった晴信の戦略によって落城した。引き続いて武田軍は荒砥城を猛攻した。
城将山田国政(やまだ・くにまさ)は奮戦し討死した。
武田晴信は天文19年に砥石城を攻撃したが大敗した。
このときの砥石城代は山田国政という。
村上氏本城の葛尾は、4月5日、同じく村上氏側の内部分裂によって落城した。
天文22年8月、村上義清救援の上杉軍が荒砥城を奪還した。
しかし、上杉軍が越後に引き揚げると、屋代氏・室賀(むろが)氏など村上義清に離反した武田勢の猛攻を受け、荒砥城・葛尾城は武田の手に再び落ち、村上義清は上杉景虎を頼って越後に逃れた。
荒砥城は戦功として屋代秀正(やしろ・ひでまさ)に与えられた。
天正10年(1582)、武田家滅亡後、川中島は上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)領となり、荒砥城は徳川家康の狐落城に対する上杉方の備えの城として重視された。
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