五箇山・菅沼集落
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五箇山・菅沼の合掌造り集落(富山県南砺市) 08.09.16
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・菅沼集落は庄川の谷あいにせり出した平坦地にあり、三方を庄川に囲まれ、もう一方は雪持林(ゆきもちりん)の茂る急斜面となっています。
・集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。
・これらの合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期〜中期)に造られたものが2棟、明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建てられていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかります。
・五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」が主な生産品でした。
・菅沼集落でもそれらを生産するかたわら、わずかな土地を利用した稲作と、なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活が行われていました。
・塩硝の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなったことや安価な輸入品のために衰退してしまいました。
・菅沼は小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えることなく、訪れる人々に歴史を語り続けています。
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白川郷
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飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
合掌造りは、江戸時代から始められた養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われている。
豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持っているユニークな茅葺屋根になったと考えられている。
また、この家屋では養蚕のほか、焔硝生産も行われた。
また、合掌造りの屋根はどの家屋も東西を向いている。
これは、屋根に満遍なく日が当たるようにするため、集落の南北に細長い谷にあり、南北それぞれの方向から強い風が吹くので、風を受ける面積を少なくするためと言われている。
合掌造りを守る地域住民の連携形式の「結(ゆい)」により、補修や茅葺の葺き替えが30年 - 40年に一度は行われている。
屋根の葺き替えには、多くの人手と時間(全て葺き替えるのに二日間はかかる)を要する。
白川郷と五箇山の集落地帯は、有数の豪雪地帯であることによって、周囲との道路整備が遅れたため、奇跡的に合掌造りの住居構造が残った。
しかし、過疎化や住民の高齢化により、「結」の活動による、合掌造りの維持活動も限界となっている。
戦後は林野、水源開発の影響、産業の衰退、人口の都市部流出などもあって、多くの家屋が廃屋となった。
特に御母衣ダム建設の際に、数多くの伝統建築が取り壊された。
その後、伝統的な家屋形式を反故にしてはいけないと近隣住民を中心に資源保存の機運が高まることになる。
その後、後述の重要伝統的建造物群保存地区選定を経、また世界遺産登録後、急激に観光客が増加している。
近くを走っている高速道路(東海北陸自動車道)も飛騨トンネルの完成により2008年に全線開通しており、地域社会の生活と観光地化の狭間で、様々な問題も発生している。
例として、現住建造物問わず心ない観光客が勝手に戸を開けるなど、住民のプライバシーを尊重しない重大なマナー違反等がある。
「白川郷」や「五箇山」と言われているのだが、細かく言うと白川郷の「荻町」と、五箇山の「相倉」、「菅沼」の三つの集落がある。
荻町は1976年に、相倉と菅沼は1994年に重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
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