前田土佐守家資料館(金沢)

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 前田土佐守家資料館               08.09.18
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http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/maedatosa/

加賀藩祖前田利家の次男前田利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料、約9,000点(石川県指定文化財)を保管、その一部を展示する施設です。
当館所蔵の資料は、土佐守家歴代当主が文書の保存・整理に努めてきたため、散逸や損傷等が少なく、膨大な歴史資料が良好な状態で保存されております。
また、土佐守家は加賀藩の重臣として、常に藩政の中枢に位置する家であったことから、土佐守家の草創期(天正期)から明治にいたる間の様々な分野にわたる史料がみられ、加賀藩政、文化史研究を進めてゆく上でも、その重要性が広く知られています。

前田土佐守家すなわち直之系前田家は、藩政期においては利政から直信までの10代を数え、初め1万50石、4代直堅以降は1万1000石の禄を世襲した。
当家の家祖となる前田利政は、加賀藩祖前田利家の次男であり、したがって当家は藩主前田家の分家筋にあたるといえる(→系図参照)。

利政は七尾城にあって能登国約22万石を領有していたが、関ヶ原の戦いで東軍への出兵を拒否したことにより領地を没収され、その後夫人とともに京都に隠棲した。
彼地では多くの文化人や豪商たちと友誼を重ね、寛永10年(1633)その地で没したという。
利政の長男で2代目当主の直之は幼少時に祖母芳春院(前田利家夫人まつ)にひきとられて養育され、元和元年(1615)12歳の時、3代藩主前田利常に召し抱えられた。

この直之以後、前田土佐守家は「八家」として代々藩の要職を歴任し、10代直信の時に明治維新を迎えた。
「八家」というのは、加賀藩の年寄の職に当たる門閥のことで、全部で8家あったことから名付けられた。
年寄とは加賀藩の行政組織における最高権力職で、他藩での家老にあたる。八家の中から毎月交代(月番)で任命された。
八家の制度は元禄3年(1690)5代藩主前田綱紀が定めたもので、本多家(5万石)・長家(3万3000石)・横山家(3万石)・前田家(長種系1万8000石)・奥村家(宗家1万7000石)・村井家(1万6569石)・奥村家(支家1万2000石)・前田土佐守家(前田直之系1万1000石)があった(藩末時の禄高順)。
藩政期の当主のうち利政を除く6人が、従五位下および国主号の叙任を受けている。このうち、5代直躬・6代直方・7代直時・10代直信が土佐守に任ぜられており、このため当家は一般に「前田土佐守家」と称されるのである。ちなみに、家祖利政は従四位下侍従に、4代直堅・8代直良は従五位下近江守に叙任されている。
なお、明治以降も当家は継続し、現在の当主は利政から数えて13代目にあたる。




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