明智城
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明智城 09.04.15
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通称 明智長山城
連郭式山城
天守は建造されず
築城主 土岐明智二郎頼兼
築城年 康永元年(1342年)
廃城年 弘治2年(1556年)

・張り出した尾根や谷などの自然地形を生かした典型的な中世の山城のことである。本丸跡や曲輪・土塁なとの遺構が比較的綺麗に残っている。
・美濃国緒旧記には「明智城は可児郡明智庄長山城のことである。
・明智城は土岐美濃守光衡により五代の嫡流、土岐明智民部大輔頼清の二男、土岐明智二郎下野守頼兼が康永元年三月、美濃国可児郡明智庄長山に始めて明智城を築城
・明智城は恵那市明智町城山とここ可児市瀬田長山にあり、どちらが明智光秀出生の城なのか、それを裏付ける資料はない。

康永元年(1342年)土岐明智二郎下野守頼兼が、美濃国可児郡明智庄長山に明智城を築城したといわれる。
弘治2年(1556年)9月19日、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け、明智城代明智光安(宗宿)は弟光久と一族の溝尾庄左衛門、三宅弐部之助、藤田藤次郎、肥田玄蕃、池田織部、可児才右衛門、森勘解由ら870余人を集めて籠城したという。
しかし義龍軍は3,700余の軍勢で2日間にわたり攻撃を行う。光安は弟光久と自刃したという。
この時、光秀は明智城から逃れたと明智軍記にあるが証明するものはない。


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Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%9F%8E_(%E5%8F%AF%E5%85%90%E5%B8%82)
可児市観光協会:http://www.kani-kankou.jp/meisyo/aketi/index.html
明智光秀生誕の地にて:http://bsi.fc2web.com/mitsuhide/index.htm

