圓徳院


圓徳院は高台寺の塔頭です

塔頭(たっちゅう)とは
(1)禅宗寺院で開山または住持の死後、弟子が遺徳を慕ってその塔の頭(ほとり)、あるいは同じ敷地内に建てた小院。
(2)大寺の山内にある末寺。わきでら。寺中(じちゆう)。子院。

圓徳院
http://www.kodaiji.com/entoku-in/index.shtml

京都市東山区高台寺下河原町530

圓徳院は、豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉(しゅうえん)の地です。

豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね58歳の時のことです。

これが今日の圓徳院の起こりです。
ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地となりました。












そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。
圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。
寛永9年、ねねの没後9年目のことです。 



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